2022.9.13

雀おどり總本店で大きな金時のかき氷を食べました。横で鯉が泳いでいる席に座れてラッキーです。魚類って1番かわいい。今年のかき氷欲は満足!円頓寺の高級和三盆氷、おかげ庵の氷を食べて今日でフィニッシュ。冷たいデザートはソフトクリーム系より氷が好きです。

お仕事で憂鬱になっていたことも、難なく済んでハッピーです。

帰りにはRikyuで焼きそばを食べて帰る。吉本ばななひなぎくの人生』を読んでからお店で焼きそばを食べるうまみみたいなものがよくわかるようになりました。あと母がRikyu好きなんですよね。母が好きなもので私は好きじゃないものってあんまりないかも。

 

ここ数日女性の身体性について考えています。女性であるということをどのくらい世の中に自分は誇示しているのか、ということが気になっているのです。私はフェミニストであることと自分が女性性を強調したファッションや振る舞いをすることの両方を抱えていて、それが矛盾しているような気がずっとしていたのですが、それが最近顕在化してきてかなりメンタルが落ちてしまっていたのでした。

その女性の社会的な地位と能力への自負が、かえって彼女にセクシーな外見を許容するのだとも言えます。わたしは女としてじゅうぶんに商品価値が高いが、決してそれを売らないし、売らずに済むものを持っている、と誇示するために。

 

上野千鶴子鈴木涼美『限界から始まる』

この一節を読んだときに自分の罪を自覚してめちゃくちゃ病んじゃいました。私は性を売る必要のない場面で性を誇示することで得られる快感をじわりと得ることが好きなんだ、という誰にも言っていなかった感情がばれてしまいました。しかもとてもグロテスクな構図の一端として。

椎名林檎さんは女性性を強く打ち出しながら性的に消費されずに音楽家として高く評価されています。あの、実力があれば女性性を誇示しても水面下で欲望はされても尊敬が勝る感じ。あれにずっと憧れていたんだなと思いました。でも知らぬ顔をして女性性を誇示することってあさましくていやらしくてなんだか感じが悪いなと思いました。それが自分だとわかったから、これからそれをどうするか、考えていきたいです。

 

女性の身体性について、もうひとつ、お気に入りのアイドルからとても学ぶことがありました。京本大我さんが今日インスタライブをやっていて、自分がかわいいということをとても自覚した発言をしていました。彼がかわいいだけのアイドルだったらもっとかわいさにしがみついていただろうに、彼は多才なのでファンをあしらう発言が多くみられました。

「そんなに俺提供しないですよ。小出しにしていくんで」

インスタライブ京本大我20220913

見た目の力を使いながらもそこだけで消費されない存在になるということ、自分の芸は売っても精神性は売らないこと、などを考えたのでした。

思うに私が今苦しいのは実力が足りてないからなんですね。罪かもしれませんが実力を持ったまま女をやるのが好きなのでとりあえず実力をつけたいと思います。

 

 

ここ数日で三回も「セックスとは小さな死である」という言説を見ました。(心理学の本と、フェミニズムの本と、アニメで)引き寄せというか、偏っているというか、…これだけシンクロするということはよく気にしたほうがいいんだなと思うのでこの言説には注目していたいと思います。どこでどうつながっていくのかわかりませんが。

 

 

特定のアイドルに対する感情について、推す、とか好き、とかいろいろ言い方はあるし言い方にあまりこだわりはないのですが、感情と言葉を一つ一つなるべく齟齬ないように照らし合わせた結果、私としては「お気に入り」という言葉が一番近い気がしました。大発見をしたつもりが、ジャニー喜多川が特定のアイドルを「オキニ」にしていたじゃないかと気が付いた時にはひっくり返った。原点!