2022.10.30
なんでも起こりうる世の中で今を生きること。
でもとりかえしのつかない事なんて
毎日起こってんだ
胃がイタイ
いつもいつも気がつかないうちに
きっと岡崎京子『ハッピィ・ハウス』
二〇〇五年、「読売新聞」 読書欄の月一回ずつ一年ほど連載した。その書き出しが以下である。
一九八〇年代東京には「どこかで楽しいパーティが開かれている」という感触があったが、
九〇年代以後「どこかで人が死んでいる」という感じになった。これを私はゴシックな感じ
方と呼ぶ。現在はゴシックな時代である。高原英里『ゴシックハート』
恋愛はアイデンティティの闘争ゲームなら勝者になることしか選ばずにめちゃくちゃなわがままになってやりたい。今は好きな人がいないので特に。
恋愛をアイデンティティゲームだとしよう。勝者は自分のアイデンティティをまもり、敗者は自
分を相手のアイデンティティに合わせるしかなく
なる。恋愛にはそうした非対称性がどこかにある。実際には、恋愛関係において、互いにどこかで自分のアイデンティティを犠牲にしているの
かもしれない。 『乱れたベッド』において、ベアトリスとエドワールは自分自身を賭けて戦っているということになる。 ベッドは戦場だ。『ファム・ファタール/オムファタル 狂おしく甘美な破滅』
破滅願望がない人のことは何も分からない。
表象としてのファム・ファタルには、女性に対する欲望と恐怖、魅惑と嫌悪、崇拝と憎悪といった両義的心理が投影されている。フェミニズム批評においては、男性の性的欲望や幻想によって女性を規格化する性差の様式と批判されるが、他方、性的な力によっ男性中心的な支配構造を抜け出積極的に自由を手に入れようとする女性像を実現するものともされる。
『ファム・ファタール/オムファタル 狂おしく甘美な破滅』
ファム・ファタルの立場からすれば、「破滅」する価値のある男と出会うことが重要になる。最初から何も持っていない男が破滅したところで、それは運命に弄ばれたことにはならない。
「破滅」という名に相応しい転落をし
なければお話にならないのである。『ファム・ファタール/オムファタル 狂おしく甘美な破滅』
自分の恋愛観は端的に言うと「わからせたい」なのでそのわからせの果てで相手が破滅する場合ファム・ファタール的なのではないか?!と気がつきました。
好きな人が出来たらファム・ファタールを意識してみたいと思います。
いない間は甘やかしてくれる人にわがままをめちゃくちゃ言う感じでいきたいです。そうしないとアイデンティティの闘争に負けてしまうので。