2022.10.19

たくさんの書物の中から、それについて書いてあるものを私は探す。 その片鱗が感じられるものの見方、方向的に似通っているような体系について知り、刻々と薄れていくそれを明確にしようとする。だから知っている。あまりによく整理されていたり、魅力的だったり、慰めてくれそうだったりするものには惹かれ、そっちに引きずられそうになるものだ。段々それが単に言葉の言い換えに過ぎないような気がしてくる。段々、それ
が自分の知りたいことをよりはっきりあらわしたものに見えてくる。
でも、それは違う。どんなにそれが楽でも、素敵でも、どこかで違うとわかっているのなら、絶対にそっちに引きずられてはいけない。
ペイガニズムも、魔術も、神秘主義も、宗教も、ニューエイジも、心理学も、駄目。
想像力・創造力をただそのままに保っておかなくては。
その力を、何かの体系に合うように矯めてはいけない。多分それは取り返しがつかない
ことだから。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』

 

体系化されたものに寄りかからずにやっていきたいです。哲学は考え続けることのみ要求するから素晴らしいと思う。哲学の中の思想にも寄りかからないように、自分の真理は真理のまま保って、ディテールを殺さずにやっていきたいです。

 

 

セカイ系というジャンルがあります。あれは、自分個人の悩みや秘密が世界の重大な鍵になっていた、という物語です。

構造主義ポスト構造主義に出会った時、個人的なことは政治的なことなのだとわかりました。

私の悩みは政治やジェンダーギャップ、歴史の中で生まれたもので、私が悩みに向き合う時、即ちそれは世界に向き合うことになります。

私の悩みや秘密が世界の重大な鍵になることは厨二病でも童貞の夢でもなく、必然的なものなのです。

だからセカイ系の物語をみるたび、リアリズムだなーと思うのです。