2022.10.26
お気に入りのものに囲まれてお気に入りのものを食べてこの世にあって欲しいものを作る
2022.10.19
たくさんの書物の中から、それについて書いてあるものを私は探す。 その片鱗が感じられるものの見方、方向的に似通っているような体系について知り、刻々と薄れていくそれを明確にしようとする。だから知っている。あまりによく整理されていたり、魅力的だったり、慰めてくれそうだったりするものには惹かれ、そっちに引きずられそうになるものだ。段々それが単に言葉の言い換えに過ぎないような気がしてくる。段々、それ
が自分の知りたいことをよりはっきりあらわしたものに見えてくる。
でも、それは違う。どんなにそれが楽でも、素敵でも、どこかで違うとわかっているのなら、絶対にそっちに引きずられてはいけない。
ペイガニズムも、魔術も、神秘主義も、宗教も、ニューエイジも、心理学も、駄目。
想像力・創造力をただそのままに保っておかなくては。
その力を、何かの体系に合うように矯めてはいけない。多分それは取り返しがつかない
ことだから。二階堂奥歯『八本脚の蝶』
体系化されたものに寄りかからずにやっていきたいです。哲学は考え続けることのみ要求するから素晴らしいと思う。哲学の中の思想にも寄りかからないように、自分の真理は真理のまま保って、ディテールを殺さずにやっていきたいです。
セカイ系というジャンルがあります。あれは、自分個人の悩みや秘密が世界の重大な鍵になっていた、という物語です。
構造主義、ポスト構造主義に出会った時、個人的なことは政治的なことなのだとわかりました。
私の悩みは政治やジェンダーギャップ、歴史の中で生まれたもので、私が悩みに向き合う時、即ちそれは世界に向き合うことになります。
私の悩みや秘密が世界の重大な鍵になることは厨二病でも童貞の夢でもなく、必然的なものなのです。
だからセカイ系の物語をみるたび、リアリズムだなーと思うのです。
2022.10.10
自己実現という言葉をアイドルが使う場合、実現するのは本人が演じているアイドルであって本人ではないんじゃないかと思っています。自己実現するのは自分ではなくいつも作品であって自分ではない、ということは色んなことに当てはまる気がしています。自分のまま自己実現ができている人は、表現活動をしている人でなく社会貢献や起業してる人の方がイメージしやすいのですが、自分のまま表現で自己実現している人は自分の内面を全部晒しているのでしょうか。それって怖くないのかな。
私の推しのアイドルは完全にアイドルをやりにいっているタイプで自分とアイドルの自分を意識的に分けているように見えます。
私が地下アイドルをしていた時は自分とアイドルを分けられなくて、自分のままアイドルをやって疲れてしまいました。自分のままじゃないと自己実現にならないと思っていたからです。でも何も実現しませんでした。ただ1つ、自己実現するのは自分ではなくいつも作品であって自分ではない、という真理を得ました。
自己実現って、表現をしてる人には当てはまらない言葉じゃないですか?自己実現するのは自分ではなくいつも作品じゃないのかな。
2022.10.7
姉さん、ばかにしないでね。青春というものは、ずいぶん大事なものなのよ。あたし、あさましい。ばかだ。自分宛ての手紙なんか書いてるなんて、汚い。
あたしは、男のかたと、大胆に遊べば、よかった。あたしのからだを、しっかり抱いてもらい
たかった。姉さん、あたしは今までいちども、恋人どころか、よその男のかたと話してみたこともなかった。 姉さんだって、そうなのね。姉さん、あたしたち間違っていた。おりこうすぎた。ああ、死ぬなんて、いやだ。 あたしの手が、指先が、髪が、かわいそう。死ぬなんて、いやだ。いやだ。
少女と女の体について日々考えている私がこれを授業するのか…とBADに入りずっとTwitterをしていました。
なんだかつかれました。三連休はお仕事からは離れてのんびりしたいです。創作も、今楽しくできてるのでやりたいです。お友達の写真家さんの被写体もやるので、気合いも入れて。
ビッチになれたら楽だったことたくさんあるなーと思う日々です。
2022.10.4
先日哲学カフェの女性限定対話「エロスとは」に参加してきました。とっっても良かったです。共有できてありがたかった話も、逆に他人とは共有できない部分がある話も、両方同じだけありがたかったです。
エロスとは、という話でエロとエロスは違うという話や、エロス=性行為ではないことが当たり前として話されていたことに大変勇気づけられました。